「自分を形成してきた生い立ち」②
幼少期の私は、どちらかと言うと体が弱く、記憶の中では、大きな注射(おそらく点滴)を何回も病院に通ってた幼少期を過ごし、私が2歳の時に私の弟(稔)が昭和48年4月30日に誕生しました。
当時、家族が住んでいた家は伊丹市の小さな二間しかないアパートに家族4人で住み、家はどちらかというと裕福ではありませんでしたが、家庭内は明るく兄弟ともスクスクと育っていったと思います。
私の幼少期は、何か分解(テレビなど)を分解したり、木で何を作ったりするのがとても好きな子供でした。
遊んでばかりいましたので、学問の方は全然出来ませんでしたが、事あることに色々な事に疑問を常に持って検索心と探求心が強かった子供でした。
そんな子供でしたが、家庭は先ほどもお伝えしましたが、裕福か貧乏かと言いますと、どちらかというと貧乏でした。
当時、こんな事がありました。父が仕事で家を空けてて食事をする時、家には母と私と弟の3人でしたが、食卓には2人分しかありません。
しかし、母の持ち前の明るさもあり、
「よし!30秒ずつ交代して食べよう!30秒間はいっぱい食べたらいいから!その代わり一人はじっと見ている事」
とゲーム感覚で食事をスタートさせたのです。
貧乏な家でしたが、どんな状況下でも楽しく過ごすことができたのは、母のおかげだったと思います。
そして、私の人生を今でも大きく左右した出来事が幼稚園頃に起きます!
私の母の姉が滋賀県に住んでいましたのですが、その母の姉は結婚をしていなかったようですが、子供が欲しかったのか?うちの家が子供一人を食べさせていくのか難しかったのか分かりませんが、その母の姉から私を養子で迎えたいとの事でした。
そんな事を母から
「姉ちゃんがあんたを欲しいって言って来ているけど、あの家に養子に行く?」
と衝撃な事を言われました。
そんな事を聞かされた私は、幼きながらも
「そっか・・・。私はこの家には必要がないんだ!いなくても家族は困らないんだ・・・。」
と考え、私はアパートの二階から飛び降りたら、父も母も心配してくれるのだろうか?と考える事もありました。
それだけ私は価値がないんだ!価値無し人間なんだ・・・
と幼き心ながら傷ついた事が、大人になってから今の経営へとなっていったと思います。


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