「自分を形成してきた生い立ち」①
「ティール組織型の美容室経営について」をお伝えする上で、経営者の私が、自分自身の人生や性格、人格形成をする要因となった父と母の事をまずは話す必要があります。
私の父である定義は昭和 22 年 10 月 25 日に岡山県阿哲郡神郷町(現在の新見市)で、要吉(祖父)と岩江(祖母)の 5 人兄弟の末っ子として誕生しました。
末っ子という事で、岩江(祖母)、兄や姉からも沢山の愛情を貰い、そして子供に対して厳しかった要吉も父(定義)には、ある程度、自由に育てられたようです。
自分の父親(要吉)を喜ばしてあげたい一心で、近くの川に釣りに行ったり、ウナギを捕まえてきたりしては、父親(要吉)から「おぉ!今日も沢山、魚を捕ってきなぁ」と褒められた時は嬉しかったと聞いています。
そんな自由に育った父(定義)が高校に行く方向で考えていたようで、既に大阪に出ていた姉を頼って 15 歳で上阪する事になりました。
父(定義)の学問を含め、竹本家も裕福ではなかったので、結局、高校には進学せず、工場で働く様になりました。
そして 18 歳で大型免許を取得し、トラックの運転手として転職しました。
そして私の母ミネは、昭和 24 年 2 月 11 日に横浜家の 4 人兄弟の末っ子で大阪の天神橋に誕生しました。
横浜家は元々、鹿児島県出身(大祖母は奄美大島)で、戦後に仕事を探しに大阪に家族ごと引っ越しをしてきました。
母(ミネ)も父(定義)と同じく、末っ子でしたので、兄姉から大変可愛がられ育ったようです。
そんな母(ミネ)も父(定義)と同じく、どちらかと言うとあまり学問は得意な方ではなく、中学校を卒業した 15 歳から、すぐに仕事を始めました。
そしてトラックに乗っている父(定義 23 歳)と工場で働いている母(ミネ 21 歳)が、出会い、昭和 45 年 12 月 23 日に結婚し、結婚から 1 年と 1 日経った雪の降っている昭和 46 年 12 月 24 日に兵庫県伊丹市の市民病院で賢一(私)が長男として誕生しました。
私の名前である賢一は、「宮沢賢治」の「賢」から頂き、賢く育って欲しい、そして何でも 1 番になる事を願って「賢一」と名前を付けたと母から聞きました。
父と母は経済面の事、そしてあまり学問が得意ではなくて高校に行けなかった事もあり、もしかしたら自分達のコンプレックスから「賢一」の名前を私に付けたのかも知れません。


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